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初倖(うゆき)がお送りする 独り言ブログ。 /「なづゆき」「Na々」って名前も使ってる/ 大した事は書けませんが 基本的に日常的な記事が無ければ 詩や小説、論などを記しています。 ペットのことや、その日あったことも書けたらなあ。 読んでくださるっていう方は 是非ともコメントお願いします。 ツイッター 本垢  @_other_world_ コス垢 @nadu_cos リア垢 @Na_KPYM

いまだ続く地震。
地を震わすのは、果たして何か…。


過去の記憶、
すなわち
――人の起こした地の怒り…であるか。


全ては未来見れぬ世に
過去を振り返るべく


犬も猫も虫も木も人も地も神ですらも
未来を見るなんてことできない。

かつて神が定めた未来は
誰かの手によってどの出来事か
何度も何度も塗り替えられた

それがために
神は未来を定めることをやめ
運命を生にたくし
その先を待ちわびるかのように笑う。

知ることの出来ない未来を
知ろうと足掻く愚かな行為を
認めること出来ず

さて

人の歩みは
どこからでどこまで
捻じ曲げることの出来るものかと

笑って

笑って

宇宙のどこかで
地球を見ている

ソレが笑って

また危機を知らせるのだろうか


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 人間の心理とは、とても面白いものだ。
 犬猫などの動物は単純に考えたままに行動することができる。人間の赤ん坊もまた然り。しかし人間の大人というものは、何もかもの先を頭で想定して行動することをする。
 プラスにもマイナスにも考えられて、さらにそれを発展させることができる。なんて面白い思考回路を持つのだろう。他者が何を考えているのかを全て知れることなんてありえないし、また、そんなことが仮にあったとしてもつまらない。
 何を考えているのかわからないが故に、相手のやりえることを自由に考えることができる。現に今、私がこんなことを書いているのもそれが理由だ。周りから見れば「なにを考えているんだ」というものでも、自分から考えれば、「ああ、こういったことを文字にしたい」なんてことを考えている。
 だが、複雑怪奇に見える人間の思考回路も、実は単純なものである。自分が傷付きたくない、怒られたくない、恨まれたくない、嫌われたくない、などという嫌悪するべき感覚から逃れるだけために『考える』のだから。そんなことを思わなければ、人間は進化なぞを遂げることもなく、ただただ争うこともなく、平穏とも考えることもない平穏を過ごしていたに違いない。自然の摂理に当てはまれたままに、今存在する大自然のように。
 水は土地を潤し、土地は植物を育て、植物は動物に食され、動物は違う動物に食される。永久に続く輪廻のなかに、人間を当てはめるには、まだ狭い。人はどこにも属することができてしまう。雑食、道具を使い、更には野生に恐れられる火さえ自由自在だ。弱肉強食の世界、たとえ人間を食べる動物がどれくらい居たとしても、人間はそれを喰らえてしまう。
 生きるための思考回路は、逃げるための思考回路であって、死ぬための思考回路だ。考えれば考えるほど、死に際は近くなる。
 様々なことを知り、そうして限界までいったとき、人は記憶を切り捨てて原点に還る。
 ひとの輪廻は自然の摂理には当てはまらない。予期せぬことが起きる。それを逃れられるのもまた考えた結果。『自然』ではないところの、どこに、人間は存在できるのだろうか。

 

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 生きる意味を、考えてみたとする。答えなんて、みつかるはずもない。
 どうやって生きるかも、どうして生きるかも、生に関する問いは何も解決していない。解決出来る問題ではない。人の言うことにはよく、「未来のため」「生きるため」とある。ではその「未来」とは何か? ではその「生きるため」とは何か? 人の言動ほど不思議なものはない。言葉は録音でもしない限り証拠は残らない。言う分には自由だ。何をしたって構わない。
 かつて…今もまだ、かもしれないが…いじめが大きな問題となっていた。いじめによる自殺、自傷、ひきこもり、狂乱、それはそのひとの人格を壊すことが可能だ。
 例えば、いじめる側から。いじめる対照とするひとが、何か事を起こすごとにちょっかいを出す。それは友達同士の絡みなんかではなく、もっと度を越えたちょっかいだ。自分に害を及ぼすわけではない。ただ気に食わないだとか、そんな自分勝手な理由だ。もともとは大人しい子だったのかもしれない。はたまた、もともとそんな感情を持っていた子なのかもしれない。だが、いじめをし始め、それが“楽しい”になってしまったら。手遅れだ。ひとは快楽を一度憶えればなかなか忘れない。心のどこかに罪悪感くらいはあるかもしれないが、ひとを、生き物を虐げることに慣れれば、もうその泥沼から抜け出せないくらいになっているだろう。
 例えば、いじめられる側から。いじめられる原因が自分にあるにしろないにしろ、いじめられれば脆い精神は傷付く。そう、精神とは弱い。集団から離れれば、すぐにまた群れを成そうと必死になる。言葉でも行動でも、他者から自分から相手から、“これはいじめだ”という認識が誰かしらから発せられればいじめの始まりだ。そのいじめが別段辛いわけでもなく、寧ろ他者に構ってもらえているという感覚があったとして、だがそれも上っ面だけだ。『こころ』というものが形あるものだとすれば、いじめを受けるごとに、小さく浅いといえども同じ場所に何度も傷つけられていることになる。何度も何度も抉られる傷はしだいに大きくなっていく。それに気付かず、またひとは繰り返しいじめをされる。しだいに自分に溜まる傷を治すために意識が動き始める。それが自傷などと呼ばれるもの。
 例えば、傍観者から。「見ているだけだから」「関係ないよ」…言葉。これこそ最大のいじめ。いじめられるひとをいじめるひとよりも性質の悪いいじめだ。自分は関係ないふりをしながら最高のいじめを施している。無視。まさに態度と言葉の暴力。助けてあげたいと思って動かないひとが中でもいちばんのいじめの首謀者だ。ひととは恐いものだ。知っていながら巻き込まれたくなくて関係ないふりができてしまう。
 例えば、…では…人間ではなく自殺から。ひとが自ら堕ちてくることを静かに待つこれは、最も罪が軽い。どう足掻いても変わることがないからだ。ひとが変わることに釣られることもなく、絶望を待っているだけ。手を出すこともないけれど、他人事にすることもなく、最低の楽をくれる。
 誰かを責めるわけでもない。だから、己に責められている。
 自殺をしたひとのもとにはよく“遺書”があるらしい。私が思うに、そんなものを残すくらいだったら自殺と面と向かえばよかったのではないだろうか。つまりは、死と直面してみればということだ。何分何時間でも構わないから、ひとの死を目の当たりにしてみればよかったのではないか。「死ねば楽になれると思った」。馬鹿みたいだ。死ねば楽になるんじゃない。死ねば自分の痕跡以外が消滅するだけだ。そして一度死に逃げたらずっと死に逃げ続ける。来世も来々世も無限に。自殺――死に直面して本当に腕を広げ待っているその中に飛び込んでもいいのか、よく考えるべきだ。考えた故の行動なら認めよう、此方ももう何も言えることもない。自由にしてくれればいい。
 生きる意味を、考えてみたりした。答えなんて、みつかるはずがなかった。
 では逆。死ぬ意味を、考えてみた。答えなんて、いくらでもあるだろう。逃げるだとか次に進むだとか新しく生まれ変わるだとか。所詮は勝手な自己満足。一生死ねないというのも、次々と生まれる人口で地球が溢れかえって考え物だが、それよりもキツイものはやはりどんな苦痛からも逃げられないことか。病気だとか怪我だとか。植物状態になってまで死ぬ事の出来ないことは辛い。激痛を味わいながらも安楽死出来ないことは辛い。生きる意味はただいつでも探せる。常に探している。死ぬ意味は一回だけ、しかもそれは終わりだ。
 どこまでも進むなんて無理な話し。技術の進化なんてどこまでだかなんてわからないけれど、ある一定を過ぎれば何だってそれ以上は踏み入れない。領域を越せない。
 きっとまだまだ先へと伸び進化することが出来るのはきっと…“生”と“死”だ。言葉にすればする程、それは目前に広がるだろう。

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 これはあくまでも私の考えだ。
 生ける者が死に、実在するとする“天国”があるなら、きっとその風景は此処と何ら変わりないのだろう。今見えている景色が、きっと同じように向こうにもあるのだ。多少の違和感はあるかもしれない。だが、別にこれといった大きな違いはないのだ。
 思うことがある。三途の川や花畑と云うのは、実のところ、何を意味しているのか。川は、此方と其方をわけるための境界線――だとしたら、他のものでは何がいけないというのか。縄や紐や石や壁や、数え切れない程の道具。それではいけないのか。そこで1つ、まず川が“流れる”ものであることに気付く。川の水の行く先が何処かなんて見当もつかないが、つまりそこであらゆる罪を洗い浚い吐くと言うことか。罪が流れてゆくか、それともその重みに耐えられず自分自身が流されてゆくのか。……花は多分、その気持ちを落ち着かせるものだろう――が、もしかしたら魂なのかもしれない。それは流されていった魂か、はたまた自ら花になりたいと望んだ魂なのか。
 所詮行ったこともないからわかりやしない。だが時々ふと思うのだ。死んだ後はどうなるのかと。別に今すぐ死ぬ死のうってわけじゃあないのに、でも今すぐに死なないとも限らなくて、わざと意識しているわけではないが考える。いつどこでではなく、本当に、突然に。
 最初の通り、これはただの私の妄想の世界に近い。多分、他人の考えることとは違っているだろう。でもまあ、それでいい。違っていて良い。全く同じ考えを持つ人間なんて存在するはずもないのだから。

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 そう、例えば、この世界が全て自分の創り出した妄想だとしたら。きっと今まで生きてきた中で、最高の恐怖を実感するだろう。決して思い通りでないのに、それでも自分の考えていることなのだ。
 自分の創り出した世界でないからこそ“自分”が存在している。“自分”の存在を認めてくれない世界は、つまり、全て生きていないことになる。
 全てが生きていない。どれ程何を伝えても、何も伝わらない人形の世界だ。上っ面だけが動き、まるで同意しているかのように見えて、実は何も感じていない。そんな寂しい世界があったら、是非ともお断りしたい。
 よく、自殺やら「死にたい」と言い思ったりやら、この現実から逃れようとする人間が居る。…まあ、こんな事を言っている時点で私もそうなのだが、つまりそれは、自分の存在を認められた故か。何も思い通りにいかなくて、せめて楽になろうとするのは愚かしい。まったくもって、哀れだ。思い通りにゆく世界なんて、あっても何の楽しみもない。もがいてもがいて、ようやく見つけ認められた自分から…、自分こそが、よもや自身を見失っているだけではないか。
 この世界から逃れた者は、まあ確かに、何も無い世界で楽になれるかもしれない。何者も生きていないのだから。だがしかし、言うならば“転生”をしたとしたら? それこそまた同じことの繰り返しだ。まるで何度も繰り返せるビデオテープのように、狂ったように何度も何度も同じ事を繰り返し続ける。
 誰かに助けを求めても、結局助けられるのは自分だけ。崖から落ちそうだったなら、自らの腕力で。川で激流に流されそうだったなら、自らの泳力で。死にそうだったなら、自らの――心で。意思の強さは重要だ。なんたって自分にしか聞こえない言葉で自分に暗示を掛けるようなものなのだ。
 ここまできてなんだが、私は別に自殺やら「死にたい」と言い思うことが悪いと言っているのではない。用は、そこで本当に自分が何を考えたかを知りたいだけだ。それはまるで夢のように、ああ死ぬんだな、ああこれで終わりだな、などと諦める、本当の直前。人は死ぬ直前と言えども、何かに執着する。死にたいと死にたくないは紙一重に等しい。
 死に方なんて簡単に選べるが、生を受けるにはひとつしか方法がない。誰かが証明したわけではない。ただただ、自然にそういう流れになるのだ。生き方も同様に選べるが、自分の意思は自分でしか理解することは出来ない。
 …そう、例えば。
 目を閉じてみよう。耳を澄ましてみよう。…これは生ある者が自らの意思で出来る特権だ。そこで思うことは何だ? 「死にたい」? 「生きたい」? 「次に何をしようか」? 「これは何だ」? そんなの個々の自由だ。だが、そこでもしも声を聞くことが出来たなら、きっと自分で自身を認めているはずだ。
 この世界が自分の創り出した妄想の世界なら、きっと“夢”を見ないだろう。まして“希望”なんかもないだろう。ただ平凡に《生きている》という実感だけを望む人の形を取った何かである。この世界が全ての生に共通する“視界”だからこそ、きっと《あらゆる望み》が生まれる。
 結局、全てはどうやっても事実なのだ。逃げることも逃げられることも叶わない。繋がれた輪の中をぐるぐると回旋する、生と死の物語なのだ。


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